2012年02月17日

人は自分の文脈でしか世界を見られない

「人は信じたいものだけを信じて,見たいものだけを見るのよ。」

海街diary 2 真昼の月


好きな物や人を,好きな他人と共有する。それは人間の根源的な欲求だろう。
だが同じ対象にどんなに共感しても,他人はそれを自分が見ている角度で見ているわけではない。ひとりひとりがそれぞれ違う文脈(context)で世界を見ているのだと思う。

以前から何となくそう思っていたが,Twitterをやるようになってストンと落ちた。Twitterのライムライン,これがその人の文脈=世界観を見える化している物だと思う。同じ話題について議論しているようでも,それぞれのタイムラインには別のツイートが流れていて,画面はひとりひとり全部違う。「有機農業」に関する話題が,農業関連の情報ばかりの画面に流れている人もいるだろう。僕の画面では今,有機農業の話題が畠山美由紀とジャーナリズムと交通違反と鯖江の話しの間に流れている。同じ物を皆で見ている掲示板とTwitterの一番の違いはこれだと僕は理解している。

これまでは何かについて学ぶ時に,そこに至る文脈までをも規定されていた感じがする。生け花に興味を持った人は,まずその歴史を勉強して,流派を決めて,お稽古を重ねて。。。 全然違う関連性で生け花に興味を持った人は「あ,自分は正しい見方をしていないんだ」と考えてしまう。でもそれってもったいなくね? という話。自分は自分の入り方で興味を持ったんだから,知りたい事だけ知ることができればいい。王道も邪道もねーよ,と。もっと言えば興味の対象なんてただの点で,そこに至る文脈こそが自分自身だと思う。

自分は自分の文脈でしか世界を見られない。他人に何を言われようと,それは変えられないし,変える必要も意味もない。この事を肯定できると,何も怖くなくなる。どんな場面でも素直な自分でいられるようになる。自信がつく,というのはそういうことなのかも。



で,ついでにもう一つ。多くの人の耳目を集める物や人は,いろんな文脈に堪えるコンテンツだと言い換えることが出来る。

自分がやっている有機農業という仕事。本当に面白いと思うんですよ,最近。だからこれまで付き合ってきた人と全然違うタイプの人と有機農業の話をしたい。そうすると,その人の文脈でこのコンテンツをどう捉えているかの反応が見られる。それが面白くてしょうがない。できるだけいろいろな人と話したいと思う。

割と時間かけて書いたんだけど,何言ってるか伝わらないかな(笑)?

今日はこの辺で。

posted by かぜだより at 01:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 野菜セット通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自分も他人も、こういう理由で肯定できたらいいですね、という話ですよね?
本を読むのも、自分の好みの文脈探しみたいとこあります。

で、ブログでも安易にいいね!を押しちゃうわけで、ごめんなさい。
Posted by うちやま at 2012年02月17日 23:49
うちやまさん

そうですね。自分も他人も変わらないよね。わがままで行こう,って感じでしょうか。

どんどんいいね!して持ち上げてちょーだい。
Posted by ひさまつ at 2012年02月18日 00:28
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